ホームへ
ゆめみなと鹿児島について
活動内容
鹿児島港の歴史遺構
みなとオアシス鹿児島
リンク集

鹿児島の歴史遺構

ホーム > 鹿児島の歴史遺構(吉野町、清水町、祇園之洲、春日町方面)
吉野町・清水町・祇園之洲・春日町方面 鹿児島港本港区方面 錦江町・天保山町・与次郎・下荒田〜真砂・南郡元町方面 小松原谷山方面 七ツ島方面

吉野町・清水町・祇園之洲・春日町方面

吉野町・清水町・祇園之洲・春日町方面地図 1.舌出 2.磯造船所跡 3.琉球人松 4.潮音館(旧重冨島津家別邸の米蔵) 5.戸柱船手跡 6.祇園之洲砲台跡 7.ザビエル上陸記念碑

1.舌出(島津別邸 船着き場)

( しただし )

所在地 鹿児島市吉野町

舌出写真
  集成館事業が進められた磯地区において、その交通は船が主であった。現在の磯海岸には、当時の名残りを示す船着場があり、舌を伸ばしたような形であることから「舌出」と呼ばれている。

2.磯造船所跡

( いそぞうせんじょあと )

所在地 鹿児島市吉野町

磯造船所跡写真
  嘉永2(1851)年、ときの薩摩藩主島津斉彬は磯に造船所を建設し、安政元(1854)年にはここで3本マストの洋式帆船「以呂波丸」、安政2(1855)年には蒸気船「雲行丸」が建造された。現在は大正15(1926)年建立の「照国公製艦記念碑」がある。

3.琉球人松

( りゅうきゅうじんまつ )

所在地 鹿児島市清水町

琉球人松写真
  松の名前の由来は琉球船が鹿児島に入港する際目印にしたとも、ここで花見をする琉球人たちの歌舞の様子を人々が見に集まったからともいわれている。戦後松食虫によって枯れたが、昭和29(1954)年に姫松が、昭和48(1973)年には那覇市からの寄贈による琉球松が植えられ現在に至っている。

4.潮音館(旧重冨島津家別邸の米蔵)

( ちょうおんかん )

所在地 鹿児島市清水町

潮音館写真
  大正7(1918)年に、隣接する旧重冨島津家別邸の米蔵として建立される。石造のもので、近年登録文化財に指定されている。

5.戸柱船手跡

( とばしらふなてあと )

所在地 鹿児島市春日町

祇園之洲砲台跡写真
  三国名勝図会に「初め船手は、府城の東北、春日神社の下より稍北の方にありしといひ伝ふ・・・」とあり、「新納忠元勲功記」には慶長14(1609)年の琉球出兵の際に、この戸柱橋付近の軍港から乗船、山川港に集結したことが記されている。「薩藩水軍軍港跡」の碑が春日神社東側に建立されている。

6.祇園之洲砲台跡

( ぎおんのすほうだいあと )

所在地 鹿児島市清水町

戸柱船手跡写真
  天保7〜8(1836〜37)年頃、起工されたと考えられる。島津斉彬の治世中に砲台が新たに築かれ、薩英戦争(1863年)で実際に使用された。今は八坂神社の社地と、石橋記念公園とになっている。

7.ザビエル上陸記念碑

( ザビエルじょうりくきねんひ )

所在地 鹿児島市祇園之洲町

ザビエル上陸記念碑写真
  フランシスコ・ザビエルは、天文18(1549)年、鹿児島に上陸し、日本におけるキリスト教布教のきっかけとなった。港は稲荷川河口(当時)と考えられ、記念碑の立つ位置より上流にあたる。上陸記念碑は昭和53(1978)年に建立された。